むれやま?…むらやま!

さて、新年度開始早速、八面六臂の武者所…

最初は、毎度お馴染み坂東武者たる金子氏ホーム、村山党としての出陣です!

東京都武蔵村山市協働事業『武士団・村山党の会』として、数年前から関わらせていただき、畏れ多くも先祖(!?)の金子氏の更に党祖たる、“村山頼任”公の役を仰せつかっております。

立ち上げから3年目となる今年も、やってまいりました「桜まつり」の甲冑花見!

桜まつり…花見…

桜の花は…咲き終わり、散り終わり、完全なる「葉桜まつり」となってしまいましたね。

自然の理を嘆いても仕方ないので、そこは企画成功請負家を自負する武者所、あくまで前向きに華やかに盛り立てようと役作りを施しました。

 

自らも桜の如く美しく咲き誇ります(笑)

いやはや一際目立ちます。さすが党祖、やることが思い切り良い。

そんな陽気な党祖、開会式では、自らの出番前に早々に祝いの樽酒を呷り…

いやはや…長い長い台詞も覚え切らないまま、呑みました〜

…で、いつもに増して冒頭からキレッキレのアドリブ応酬劇。

もともとの台本が、そんな性質に寄せた内容だったので、とても演りやすかったです(笑)

堂々と勢いとダジャレで、土地を名付けちゃう、党祖様(酔っぱらい…)。

でも開会式出演時間後、名残惜しいですがすぐに次の戦場に移動です!(焦)

まだ樽酒いっぱいあるのに〜(嘆)

 

幸先よく忙しい年となりそうです!

今後共、村山党を宜しくお願い致しますー!

金子党

2週連続、武蔵村山市『武士団・村山党の会』の郷土史講演会に出席。

今回は、知己の山野龍太郎先生!

『鎌倉幕府と武蔵七党〜村山党を中心として〜』

文献の出典を丁寧に解りやすく解説してくださる様は、まさに“先生”。

とても聞きやすく頭に入ってきました。

村山党関係者一同、常々頭のなかにモヤモヤ残っていたのは、いつも聞かれる「村山氏って誰?何をした人?」

哀しいほどマイナーです。

↓現代のリアル金子氏お奉行は、党祖『村山頼任』役として燦然と後光を輝かせていただいております(照)

金子氏ばかりは突出して逸話多く著名なため、どうやら昔も『金子党』『金子・村山の輩』などと称されるケースも多かったようで、そのほうが武門として通りが良かったのも事実だったのでしょう。

しかし、後に同族の仙波氏や山口氏が村山氏の事跡を継ぐことから、村山党と一括りにして幕府にPRする意識があったのではないかとの推測も出ました。

まだまだ研究の余地が多い、村山党。

とっても面白い活動に参画できて光栄です。

実はこのお奉行…(毎度書いてますが…)

この郷土史講演会にて講師を務めております。

省みて…

あの乱痴気騒ぎは何だったのか。

とても山野先生のような知的で品のある講義ではございませんでした。

ただただ赤面の至り。

全9回となる、この郷土史講演会の錚々たる郷土史家講師先生に連名する身、恥じ入るばかり…

…そう。

9回目となった今回で、この武蔵村山の郷土史講演会は最終回となりました。

村山党の皆様、とても素晴らしい機会を下さり、ありがとうございました!

また機会がございましたら、講義をリベンジしたいです!

もちろんあのスタイルで…(苦笑)

金子郷に思いを馳せ…

また久々の更新となってしまいましたのは、ネタが無いのではなく、ありがたいことに制作予定ぎっしりにて…

せっかく達成感が盛々だった“青梅”を振り返りできていませんが、とりあえず本日の内容を。

武者所と懇意にしているというか事実上活動を共にしている、東京都武蔵村山市の『武士団・村山党の会』の郷土史講演会に出席してきましたー!

実はこの郷土史講演会には、かつて武者所・お奉行も講演したこともありますが、本当に熱くディープな内容の講義なのです。

毎度、とても素晴らしい先生をお招きし(お奉行自身も!)、回を重ねて8回目となる今回は…

村山党・金子氏所縁の入間市博物館学芸員『小田部 家秀』氏による、

「源平合戦で活躍した村山党・金子十郎家忠と その時代の庶民の暮らし」という講演です。

 

金子十郎に関する事績・逸話等は、我ら村山党にとっては知っていることばかりで、ご専門が地理と自嘲してらっしゃいましたが、なんのなんの!

その地理的考察からの武士団発生条件のくだりは釘付け!

非常に有意義な視点をいただき、感銘を受けました。

まったく偶然の一致(むしろ相対?)となりましたが、先月、横浜の鶴見川流域センターでの『太田道灌、小机城を攻める』の講演にては、河川の状況から考察したものでしたので、地勢が全く異なる状況下にいた同族に思いを馳せました。

 

さらに、これもまったく偶然のタイミングにビックリしましたが、昨今私も考察を進めている、戦国期の金子氏の動向。

つい先日、武者所オリジナル脚本で公演した“青梅”の史劇内で初登場の(…と言いいましても、青梅のレポートすら書けてないので、情報が前後しちゃいますね…)、『金子越中守家定』が紹介されてて嬉しい!

裏や予備設定で盛り込んでいた『金子掃部助』や『宮寺与七郎』、加治の中山氏も出てきました。

 

ぶっつけ本番の趣味ボランティア寸劇想定のネタとして採用するには、

青梅勝沼三田vs小田原北条の間で同族相討つ国衆の姿を描くことにこだわるのは、かなり複雑になるのは必至で、無茶な大冒険でしたが…

それでも意思を貫き通して良かった。

立ち上げから3年、参加当事者のみならず観覧者にも伝わってきたようです。

今回いただいた豊泉左近将監の話などは、劇中では『横地監物丞』に「調略」とひとくくりに表現させて割愛しましたが、今後は積極的に反映してみたいところ。

…はい、青梅の達成感を引きずったままなので、新しい記事を落ち着いて書けやしませんね。

今回は、グダグダの自己陶酔報告でございましたとさ。

年度中に頑張って青梅レポあげまーす!…焦

太田道灌と金子氏と

おかげさまで今やこの首都圏の至る所でオブギョ―のドアップポスターが見られるようになった、この2月。

(例のアレです…前記事参照)

さっそく「見たよ!」の連絡が耐えぬ毎日、

そんな中、私共“武者所”にとって中枢のひとつと言える大事な拠点、横浜からも連絡アリ。

オブギョ―のリアル遠い遠い遠い…500年前に別れた血族(笑)、篠原城の金子氏からでした。

まさに個真っ只中のテーマを金子氏が講演すると!

2/12(月)『太田道灌 小机城を攻める』。

しかも会場は、これまたオブギョ―所縁の『鶴見川流域センター』。

これは全てに最優先し、行かねばなるまい。

武者所がメインイベントとする『お城EXPO』の初年度に出会った、

『篠原城と緑を守る会』代表である金子和夫さんをはじめとして、金子憲さん、臼井義幸さん!

さらに昨年の『小机城フォーラム』にてご紹介頂いて情報交換をしている、岸由二さん!

錚々たる金子一族の皆様、内容も本当に濃密濃厚素晴らしい研究成果、そして解りやすく面白い講演。

さすがです… 私共のドタバタな郷土史講演とは、まるで品性が違う… 襟を正す思い。

あの太田道灌と小机城、さらに篠原城や周辺を地形から戦術を読み解く、目からウロコものでした。

津久井の郷土劇にて長尾景春を演じていたこともある身としては、何の因果か。

なんとなんと来賓席で、これまた我らが『武士団・村山党』にて講演をなさって知り合った、

太田道灌研究ならこの人…尾崎孝さんと再会!

またまた熱く金子氏諸系譜について語り合わせていただきました。

長尾について上杉家臣団となり、越後→陸奥→出羽…と、

関東から離れていった側の金子系資料を横浜系の金子和夫さんにも共有し、

今後更に広域な観点で研究が進むであろう活動の末席にお加え頂けている実感は、代え難いものとなりました。

 

そう、私共が推進する『武者所』のプロジェクトとは、イベンターとしてのエンタメ演出に見えながらも、

実は出典根拠や考証解釈に拘った知的なエデュケーション活動でもあります。

 

歌ったり踊ったりはしない(できない)けれども(年末どこかでしたような気もするが…黒歴史)、

郷土史考証表現の妙技、とくとご覧あれ!

…というわけで、今年は毎月のように…むしろ春からは毎週のように出陣予定が入っております。

その、とくとご覧いただく直近の例として、来月3/4(日)!

東京都青梅、吉野梅郷にて!

今年も堂々たる大規模製作総指揮やります!

『青梅 吉野梅郷 梅まつり』にて、

戦国関東国衆の義の戦…三田氏と北条氏、さらに武田氏と上杉氏に介入された、青梅。

そんなややこしい局地戦を一般参加武者の皆様を登用して表現します。

武者所の完全オリジナルシナリオも3年目の大幅リニューアル。

乞うご期待!

小机と八王子で北条vs上杉を語るの段

小机城フォーラムや村山の陣の折にも触れたが…

(あ、小机城ネタについては、まだまだ引っ張る予告をしておきながら、遅々として更新できず…焦)

郷土史表現に本気で乗り出す覚悟にシフトしてから、急激に縁の連鎖が起こり、如実に可能性が拡大中。

生活リズム激変の慌ただしさの中、とうとう10月(まつり繁忙期)を迎えてしまってます。

とにかく9月いっぱいは敢えて表立ったイベント参加は避け、様々な講義や演出作品を見聞し、客観的視点からの制作手段を意識して勉強しておりました。

 

そんな9月最終日、9月30日。

既知の戦国史研究家(私は個人的な愛称として陣立師と呼んでおります♪)、

乃至政彦先生が、なんと八王子で興味対象ドンピシャなテーマでの講演をなさるとのことで、全てに優先し駆けつけて参りました♪

八王子市の川口とは、個人的にも思い入れ深い地(もう旧世紀頃、オブギョーが初めて郷土史講義に繋がる教材作りをした場所というのは全くの偶然)ということもあり、感慨ひとしお。

ちなみに、あまり創作小説を読んでない私ですが、個人的大推薦作品のひとつ、伊東潤先生の『北天蒼星』!この名作は、そのまま真に受けて良いです(私見)♪

いきなり脱線しましたが…

講義内容は、タイトル通り上杉三郎景虎について丁寧に資料を追っていき、畳み掛けるように訪れる不利な状況に、最期は戦術的勝利で戦略的敗北を覆そうとする上杉景虎と上杉景勝の両陣営の動向を解説。さすが陣立師の乃至先生ならではの胸アツな締め方でした。

 

鑑みて…

始終騒がしい私共の講義スタイルとは違い、勉強になりました。

私も2時間ぐらい落ち着いて講演するスキルを磨きたい…と反省w

 

三郎景虎といえば、8月に武者所が参画させていただいた『小机城フォーラム』にて、実は初期企画案の軸として推してたのですが…

紆余曲折あり、子供向けのフォトスペースに留まりました。

これはこれで好評につき、来たる10/15『平山季重まつり』にても堂々展開いたします!

また脱線しましたが…

小机城で三郎景虎企画を現出したかったー!

 

これまでの数多の活動の点が線となり繋がり…そしていよいよ面となる!

広く大きく表現できる機会が生まれようとしています。

武者所発のエンタメ×郷土史再発見講義、臆せず推進!

公儀(講義)隠密とは何ぞや

昨日(9/24)盛り上がった村山党の『郷土史講演会』。

余熱に便乗し、さらにネタを被せて参ろうぞ。

 

どーん!

実は、このお奉行もまたホンモノの郷土史家にて…

昨日「第7回」を迎えた武蔵村山の郷土史講演会から約1年前、

当該地にて、堂々「第4回」を飾る真面目な郷土史講義を実践したのであった…

…はずだった。

則ち、新進気鋭の「郷土史家」として、

いつものイベンター寄りなエンタメ“まつり”要素をかなぐり捨てた、

真面目な講義を展開するはずだった。

はずだった…。

 

ネクタイ締めて、堅っ苦しく登壇した、講師先生様・金子氏。

冒頭。

甲冑の装飾と機能を解説するべく、

アシスタントに教材(甲冑)を運び込むよう命じた…

ガシャーン!!

膨大な教材(甲冑)と気難しい来賓を前に緊張の糸が切れた“忍ばない忍”な、

素人アシスタントスタッフが暴徒化。

単なるシモネタアクションステージに変貌。

想定以上に無知蒙昧すぎたアシスタントスタッフらによる、

モノボケ大喜利が展開…

無茶苦茶な着付け講習会が始まり…

爆笑の会場に。

稀代の無茶振り対応アドリブ演出イベンターたるオブギョーの機転により、

講師先生自ら着付けアレンジ補正段取りをファッションショー的テイストにして、

当日演出!

こんな講義、見たことない!(そりゃそうだ)

おおいにウケたが…

おおいに「郷土史家」たる真面目な道を踏み外した瞬間でありましたとさ。

めでたしめでたし♪

そう。

この“事件”が象徴するように、

真面目な歴史家先生であるお奉行の講義や企画。

それに呼ばれてもないのに便乗して何処からともなく参集し、

手伝い1割・邪魔9割を施す陽気なヤカラ。

それこそが『公儀(講義)隠密御奉行衆』。

 

ホンモノの武者たるオブギョーの手を煩わせるだけあって、

実はひとりひとりが相当の実力の持ち主で、

非常にレベルが高い(ある意味)精鋭部隊である。

単なる趣味人や役者の寄合衆にあらず。

エンターテイメント×エデュケーション

このテーマを掲げ、最速で実践できるのは、

まさに御奉行衆だけにて他ならず。

これからも地味ィ〜な、でも効果的な活躍、畳み掛けます。

乞う御期待!

津久井vs太田道灌

金子氏の原点回帰、懇意にしているもう一つのホーム。

武蔵村山市協働事業『武士団・村山党』の不定期郷土史講演会に出席してきました。

 

第7回目となる今回のテーマは、『太田道灌』!

講師 太田道灌顕彰会理事・尾崎 孝 氏

太田道灌は、関東各地に伝承所縁の地がある超ビッグネーム武将なため、

武蔵村山市にも所縁があっても不思議ではないのではあるが…

この所縁は、偶然か必然か、私の研究・活動に直結する、かなり興味深いものなのです!

すなわち「村山の陣」(長尾景春の乱残党狩りのため、奥三保・津久井に攻め寄せるために太田道灌が再布陣した伝承が、武蔵村山市にあります)!

津久井といえば…

そう!このオブギョー、常々、津久井衆甲冑隊にて城主内藤氏としての役をいただいている因果。

しかも半年前には、まさに長尾景春その人として演じた因果。

 

その奥三保、相模川に面した小高い実戦特化山城『小沢城』城主『金子掃部助』こそが、蜻蛉の家紋をもつバリバリの村山党金子氏にして、長尾景春に与し、太田道灌と直接対決。実に3ヶ月近くゲリラ籠城戦を展開し、凄絶な討ち死にを遂げた硬骨の武将。

落ち行く城から身重の妻を脱出させ、その妻は落ち延びながら嫡子を出産。

その嫡男は、後に津久井衆として小沢城主に返り咲く感動秘話あり。

 

さらに別の切り口から、横山党海老名氏嫡流が滅びた後、海老名麾下の小沢城を村山党金子に任せた海老名金子氏に伝わる伝承として、『有鹿姫』という金子掃部の娘(海老名家と婚約)が、小沢城落城の際に悲壮な怨念を遺し亡くなる悲劇もあり。

 

このような逸話が色濃く残されるあたり、よほどの激戦…そして現地に慕われた武将だったんだなと察する。

海老名界隈の金子氏だけ、なぜか桓武平氏ではなく、出自怪しい系譜にて源氏を称しているミステリー。

これは私が調べ勝手に妄想含むところではあるが…

小沢城落城後、わざわざ敢えて立地条件微妙な武蔵村山に太田道灌が陣を布いたのは、金子氏を輩出した『村山党』の制圧が狙いではなかったろうか。

海老名金子氏が、揚羽と蜻蛉の家紋をもちながら横山党系譜の源氏を自称するのは、村山金子氏と切り離される事情…あるいは婚約先の海老名家への配慮からであろうか。

 

尾崎さんに紹介していただいた道灌史書にても解らなかった。

まだまだこれから、繋がっていく。

村山党金子。まさに勝虫の如く常に最前線で関東一円で戦い明け暮れた武家。

 

可能性に打ち震えながら…

締め切り過ぎたシナリオをこれから酔っ払いながら書き進め…ようとしている、仕事の遅い現代金子お奉行でした。